もし、世界から金玉が消えたなら
ある日うちの猫から金玉が消えた。
いや、
消えたのではない。
消したのである。
〜もし、世界から金玉が消えたなら〜
「先月〇〇ちゃんと〇〇ちゃん去勢したの。これでこれ以上増えないから、安心して!」
母はタバコをふかしながら、久しぶりに帰省した僕に言った。
僕はソファーに寝転がる5匹の猫を見ながら、へぇーっと適当に相槌をうって、それからタバコに火をつけた。
タバコの煙を追いながら、初めて我が家に猫が来た日を思い出す。
うちに初めて猫が来たのは、僕が高校生に上がった頃くらいだったと思う。弟が雨に濡れた子猫を拾って来て、動物好きな母は弟と一緒にそいつを一生懸命可愛がった。
名前は確か、5月に拾ったと言う理由でメイと名付けられた。
メイは本当に可愛いかった。
けれど、僕はメイに触ると何故か鼻と目から大量の汁が出た。だから触れなかった。
メイは本当に可愛いかった。
だから母は狭くてボロい家にメイを閉じ込めることはせず、外と中を自由に行き来できるようにした。
結果、メイは夜な夜な見知らぬ男と遊ぶビッチな女に成長した。
メイは本当に可愛いかった。
だからメイは童貞の僕を差し置いて、誰の子とも分からぬ子を産んだ。男は挨拶すら来なかったが、母はそれでも初孫ができたと凄く喜んでいた。僕が仕事で東京に行くことになった年だったので、母が寂しがらなくてすむと、その時はメイに感謝した。
それから、年に一度僕が帰省すると必ず猫が増殖していた。
母はその全ての猫をまんべんなく甘やかしたため、ブクブクに太った猫が満遍なくそこら中に転がっていて、途中から名前と顔が一致しなくなった。
そして何代目かも分からぬメイの子孫達は、人間に警戒心を持たず、年に一度しか会わない僕に対しても積極的に擦り寄ってきて、その度に僕は顔面が汁まみれになった。
ビッチの血は脈々と受け継がれていた。
「なーーぁおー」
鳴き声とともにビッチの子孫が膝に飛び乗って来て我にかえる。驚いてタバコの灰が床に落ちて、それを見ていた母が笑いながら
「その子がルー君。1番の甘えんぼう。可愛いでしょ。」と言ってきた。
こいつらは自分が可愛いことを多分知っていて、世の中に私のことを嫌う人間はいないと思っている。腹が立つ。
そんなことを考えながら、膝の上でゴロゴロと体制を変えるルー君を見つめた。
ルー君には金玉がなかった。
「なぁーーお」
頭を腕に擦り付け、ほら可愛いだろ撫でててくれよとルー君が言う。
僕はルー君を静かに床に落として、付けっ放しのテレビから流れるニュースに目をやった。
「昨夜、東京都に住む女性が帰宅途中に背後から抱きつかれ…」
「変な男が多いのねー。ルー君みたいに去勢すればいいのにねー。」
母がルー君を撫でながら放った言葉が、何故だか僕の頭をループした。
確かに。
確かにそうかもしれない。
世の中は性に関する事件があとを絶たない。金玉さえなくなれば、世界が平和になるかもしれない。
その晩、僕は布団に入ってからも母の言葉を思い出し、暗闇を見つめ、金玉なき世界を創造した。
もし世界から金玉がなくなったら…
男女の関係はもっと穏やかで平和なものになるかもしれない。この世から、性犯罪はなくなり、痴漢や強姦、不倫と言った無粋な言葉は消滅するだろう。
もし世界から金玉がなくなったら…
世界の92%のバンドマンはギターを投げ捨て、就活に走るだろう。ドラムの代わりにパソコンを叩き、マイクを握ってはその美声で数々の商談を成功させるかもしれない。
もし世界から金玉がなくなったら…
童貞もクラブミュージックを純粋に楽しめるようになるかもしれない。
もし世界から金玉がなくなったら…
今まで可愛さとボディータッチだけで仕事をしてきた女は職を失うかもしれない。
もし世界から金玉がなくなったら…
青春の青は色を失うが、きっとカースト制度は廃止される。タバコを吸うヤンキーも腰パン男子もいなくなって、野球部でもない坊主がたくさん増えるだろう。
もし世界から金玉がなくなったら…
矢口まりは今も歌って、踊っているだろう。
もし世界から金玉がなくなったら…
僕の劣等感はたくさん消える。
女性の目だってちゃんと見れるようになるし、きっとクラブミュージックだってみんなと輪になって踊れる。
けれど
それは幸せなことだろうか?
僕は世間一般にいう金玉を使いこなすタイプでないけれど、それでも金玉があるから人生は楽しいと思う。
巨乳のダッシュに胸踊り、
激しい風にはパンチラの期待をよせて、
雨が降ったなら透けブラ一つで世界の色を広がせる。
春夏秋冬、四季折々
金玉1つに
一喜一憂、右往左往
するのが人間なのではなかろうか。
世界は金玉で溢れている。
だから世界は美しくて汚くて、そして面白い。
「なぁーーお。」
甘えん坊のルー君が寝ているぼくにすり寄ってくる。
僕はルー君をそっと抱きしめ呟いた。
「ごめんね。」
僕の顔面はまた沢山の汁で溢れ出した。